其の伍拾 ~首輪に繋がれる~
私が六歳から二十二歳までの十六年間、 我が家では雑種の雌犬を飼っていた。
名前は“ブラッキー”、勿論黒毛。一見するとコッカス パニエルみたいな中型犬。
可愛く頭の良い犬であった。
実家は庭が広かったのでまったくの放し飼い状態。
ブラッキーは屋内外を自由に行き来し、私や兄の後をつ いて廻った。
友達と公園に遊びに行く時も、駄菓子屋に買い食いに行く時も、
母に頼まれておつかいに行く時も一緒だった。
首輪なんてしない、つながない。
所謂“犬の散歩”はした事がなかった。
それでも誰にも文句は言われない、平和な時代であっ た。
小学五年生の時、二時限目が終わった休み時間に
“あれ?ブラッキーがいるよ!”と友達が発見。勝手に登校してしまったのだ。
どんなに“帰れ!”と叱っても遊んでいるつもりなの か、逃げるフリをしては
戻って来てしまう。終いには校舎中を猛ダッシュで走り廻る始末。
先生も困り果て、仕方なく私が家まで送っていった。授 業中なのにね…。
又、よくバス停まで送ってくれたのだが、ある時車内ま でついてきてしまい、
何本もバスを乗り損ねた思い出がある。
二〇〇六年、戌年。“首輪で繋がれるのは御免だぜ!”
今年はブラッキーの様に走り抜けたいと思っている。
御機嫌よう。
其の四拾九 ~昨日は消えない~
DVDレコーダーを買った。
過去のLIVE映像等の膨大な量の資料ビデオ
<その殆どがもしかしたら死ぬ迄見ないかも知れない>
の中から必要なモノだけをディスクに焼き直す作業を行っている。
それは私を複雑な気持ちにさせる。
’94『ひまわり』でデヴューした頃の映像。
久し振りに見る過去の勇姿...!?。
ううっ!ダサい、ダサすぎる。本当にヤバい。
これは一体誰なんだ?何を考えていたのか?
当時鳴り物入りでデヴューした私は数多くの番組に出演させてもらった。
その全てが赤面モノである。
番組内容や作品性に問題がある訳じゃ無い。
私自身が恥ずかしい存在なのである。
おそらく事務所やメーカーはとてつもない宣伝費を私に投じてくれたのであろう。
それをまるで生かせていないどころか、お調子に乗りまくっている私の阿呆な姿。
十二年前と言えども情けない。
現在の私の姿を十二年後に振り返ってみた時、
ほんの少しでいいから”中々カッコいいじゃねえか”
と思える自分でいたいと切に感じる冬の始まりなのである。
其の四拾八 ~姿勢と挨拶~
私の父は姿勢と挨拶に厳しかった。幼い頃、山田家では徹底的に注意された。
結果、兄は背筋は伸びているが挨拶はいいかげん、私は挨拶はきっちりしているが猫背。
彼の教育は半ば成功<失敗>したといえるだろう。
さて挨拶についてだが、私は他人がどうであれ気にならない。
「あの野郎アイサツ無しに帰りやがった」なんてダサい台詞は吐かない。
ただ”礼”と”詫び”に関してだけは別だ。
この二つは人と人が上手く長く付き合っていく為には絶対に必要な潤滑油だと思う。
”喧嘩する程仲が良い”という言葉がある。その通りだ と思う。
何度も喧嘩出来るって事は、すれ違い争ったとしてもその都度許し合いニュート
ラルな関係に戻れるから。だから又懲りずに喧嘩出来るのだ。
”ごめん””すまん”が如何に大切か。
なんだかんだ言ったって人は”見返り”を期待する。
親切は決して押し売りするモノではないが、受け取った時には喜びを伝えるべきだろう。
”ありがとう”が如何に素敵か。
時折”詫び”ない人がいる。”礼”しない人はそんなにいないけどね。
絶対に謝らない人。私には意味が分からない。いつだって自分は悪くないのだろうか。
謝ると金でも無くなるのだろうか。謝ると死んでしまうのだろうか。
どちらにしても滑稽。
私の知る限り、そういう人の廻りからは自然と人が離れてゆく。
秋の夜長に”父の教えは正しかったなあ”と猫背で感じ ている今日この頃である。
言っとくけど私は決してモラリストなんかじゃあないよ。
御機嫌よう。
其の四拾七 ~素晴らしき役者魂~
現在私は下北沢の“ザ・スズナリ”に通う毎日。ガレー ジシャンソンショー初の
お芝居『URASUJI』出演の為だ。本日4日目。
早いもので全15公演の内6公演が終了。
この先千秋楽に向かってどの様に醗酵してゆくのか、何処まで濃くなってゆくのか愉しみ、愉しみ。
さて、私にとっては初めての演劇仕事。何から何まで新 鮮な事ばかり。刺激的な
日々を送っている。とにかく“役者魂”には感服の至り。
バンドマンと比較すると心掛けの違いに虚しくなって来る。例えば・・・
1. 稽古の鬼。四六時中稽古しっぱなし。休憩時間も皆さん自主稽古。
2. 挨拶の徹底。1人1人にきっちりと。
3. 時間厳守。当たり前の事だがこれが徹底されている。遅刻魔の私も今回ばかりは定刻通り。
4. 仲良し。互いを認め合い全員で1つのものを創る共同意識。
5. 酒呑み。連日連夜繰り出す。二枚目俳優も美人女優もお莫迦全開。
とまあ最後の項目は別にして“イエ~、まあいいぜ、気にしないぜ、めんどくさいぜ、ロケンロー。”なバンドマンにはつとまらない世界なのだ。
私は毎日目からウロコを何枚も落としながらも“やっ ぱり自分は唄うたい、バンドマンの血は拭えん なぁ・・・”と己を再確認する日々なのだ。
ザ・スズナリ楽屋の私の席には、台本・メイク道具・衣 装は勿論の事、洗面道具一式・読みかけの漫画・CD・部屋着・小物等々、全部置きっぱなし。
徐々に私の部屋化し始めている。楽日にとてつもない量の私物を持って帰る事になりそうでコワイ・・・。
御機嫌よう。
其の四拾六 ~リバーサイドステーション~
私はパスネット愛用者だ。
いつも五千円のカードを購入している。
一円もおトクじゃないのはどうかと思うのだが
やはり便利さは否めない。
先日新しいパスネットを購入しようと
東横線多摩川駅の自販機に千円札五枚を投入。
すると一枚だけ戻って来てしまった。
何度入れ直しても戻って来る。しょうがないなあ。
始めからやり直そうと思い”とりけしボタン”を押し た。
ありゃ?お札は一枚も戻って来ない。
それなのに”紙幣をお取り下さい”との表示。
自販機がピー!ピー!と鳴り始めた。
今度は”よびだしボタン”を押す。待てど暮らせど駅員の応答は無い。
「すみませ~ん!」とKEEP ON SHOUT。
十分後ようやく駅員が登場。怒りを抑え事情を説明する。
駅員は「お札が詰まった形跡は無い、機械的にはちゃん とお金は戻っている、な
ので四千円は返せない」との事。
まいった。これじゃ詐欺だ。
いくら話しても埓があかないので警察を呼んだ。
おまわりさん四人登場。大事になって来たぞ。
警察の介入により駅側は掌返した様に対応が変わった。
”朝からの自販機の売り上げと中の金額を計算しますか ら...。”
”どの位時間がかかりますか?”
”......急ぎます......”
”こう見えても私あまり暇じゃないんですよ...。”
先は長そうだったので連絡先を伝えてその場を後にした。
結局お金が詰まっていたという事が判明し、後日現金書留で四千円が送られて来た。
中には取って付けた様な詫状とカードが一枚。
お詫びの印はパスネット五百円分。
カードの上でサザエさん一家が笑っていた...。
其の四拾五 ~このまま履いていきます~
ガレージシャンソンショーレコ発ツアー”ふたり旅二〇〇五『狂歌全集』”も無事終了!
お集り頂いた紳士淑女の皆様方、感謝感激。西日本~九州にかけて寝苦しい夜を更に寝苦しく、
不快指数上昇の宴を繰り広げて参りました。夢見るぞ...!
さてその初日の事、リハーサルと本番の合間に靴を衝動 買いしてしまった私は
”このまま履いていきます”とそれまで履いていた靴の処分を店員に依頼。
新しい靴の軽やかな履き心地に”こりゃあいい旅にな りそうだ”と勇み足になりながらも、
歩を進めるにつれだんだんと後ろ髪引かれてきたのでありました。
私をいろんな所に連れて行ってくれたあの靴、私をいろんな人に逢わせてくれたあの靴、
それをいとも容易く破棄してしまう己の非情さ...。
時既に遅く、本番の時間も近づき、私の足跡はこの世から消滅していったのでありました。
その夜はセンチメンタリズムが爆発。
切ない曲は更に切なく、儚い曲は更に儚い表現となったのでございます。
アキレス腱を切断した時のギブスを三十五年間捨てられずにいた母の血が、確実に私に流れている事を実感。
いつの日か私はそんな甘っちょろい感傷主義を脱ぎ捨て、新しいパンツを買った際には
”このまま履いていきます”とそれまで履いていた下 着の処分を堂々と店員に依頼出来る、
そんな逞しい大人の男になれたらと願っています。
御機嫌よう。
其の四拾四 ~治療は愉し~
前回お伝えした通り右足靱帯負傷という アクシデントに見舞われた私は
整骨院通いの日々を送っている。
この梅雨空の下、足を引き摺りながらトボトボトボ...。
だがしかしこれが中々愉しい。
整骨院って快適なんだ。癒されちゃうんだ。
右足に電気を流してもらったり、マッサージしてもらったりしていると
うつらうつらと眠くなって来る。ポポポヤ~ン...。
いろんな事がどうでもよくなってくる。
”このままどっか消えちゃおうかな”蒸発三代目の血が騒ぎ出す。
ある時”失踪するなら東北の鄙びた温泉地がいいなあ、 名前は何て名乗ろうかな...”
などと愉しい空想に耽っていると、何処からともなくインド音楽が聴こえてくるではないか。
患者は私一人。”このBGMは先生の趣味ですか?”と尋ねてみた所
”はい、私インドが大好きなんですよ”との返事。
二年近くもアジア~インドを放浪していた過去をお持ち で、
おそらく私と同世代、役所広司似のハンサムさん。
”よく戻って来ましたねえ”
”ええ、まあ一応”
”良かったですねえ、真人間として社会復帰出来て”
”そうですよねえ”
こんな素敵な整骨院だったから居心地が良かったんだな。
休日はタブラを叩いたりハーモニウムを弾いたりして過ごすとの事。
しかも青春時代はメタルの洗礼を受けていた事が判明。
正しく私が行くべき病院であった。
時々遠い目をしている先生。
どうか私の右足が完治するまでドリフトアウェイしないで下さいね。
其の四拾参 ~唄うたいは自己管理~
唄うたいにとっての楽器は己の身体。
ギタリストがネックを調整したり弦を張り替えたりする のと同様に、
ヴォーカリストは自己管理を徹底せねばならない。スト イックな人生なのだ。むむぅ...。
現在私は唄うたい失格である。
先日平坦な道を闊歩していた。段差もない、滑りやすい訳でもない。
全くもってごく普通の歩道だ。
突如!右足を挫いてしまった!その瞬間激痛が襲ってき た。
立っていられない。耐えられない。頑張ってみる。やっ ぱり無理だ。
倒れるの恥ずかしいなあ...。近くに電信柱を発見。しがみつく。
電信柱と五分間のアバンチュール。
誰一人助けてはくれない。声もかけてもらえない。
綺麗なおねいさんがもがき苦しむ私に一瞥をくれ た...。
悲劇のヒーローが完成。
やっとの思いでタクシーに乗り込み病院へ。
”う~ん、骨いっちゃってるかなあ?レントゲン撮って みましょう”
結果骨に異常はなかったが靱帯をニ本損傷。当て木を添えられガッチリ固定された。
松葉杖の生活を余儀無くされる。
翌日ガレシャンでテリー伊藤さんのラジオ番組へ。
松葉杖をつきながら登場する私の佇まいに全員が驚愕、 心配、そして爆笑!
よかったぜ、笑えてもらえて。
よ~し、こうなりゃ保証金を踏み倒して松葉杖を改造しちゃおうかな。
髑髏つけたりペイントしたり。カッコイイかもな!
何もない状況で足を挫いてしまった自分の情けなさ、
それを演出でごまかそうとしている私。
”後は野となれ山となれ、行き当たりばったりで生きて ます”
自分の書いた歌詞の通りだが、唄うたいとしてはまった くもって失格である...。
其の四拾弐 ~トゥー・エクスペンシヴ~
紳士淑女の皆様、ご機嫌麗しゅう。
黄金週間、五月病、怠惰な日々。
私は既にみの虫でございます。
さて先日鼻水が洪水の様に流れ出し、
耳鼻咽喉科に行かねばと思い立ったある日の事。
木曜日なので行きつけの病院は休診だ...。
どうしたものかとタウンページとにらめっこ。
う~ん、木曜日やってる耳鼻科って少ないぜ。
果たして一件の耳鼻科をピックアップしたのでした。
到着してみればかなり古~い建物。私以外に患者は一人だけ。
おそるおそる初診です、と保険証を提出。
この用紙に記入して下さい、と問診票を渡されました。
書き終えて提出、しばらくすると受付の奥から
“住所や電話番号をちゃんとチェックしなさいよ、嘘ついてるかも知れないから”
........つかねーよ、嘘。
治療ではおじいちゃんの震える手付きで鼻の中をかき回され激痛。
鼻をかんだら真っ赤な血が大量に混ざっておりました。
更なる悪化...。
やれやれと車に乗り込んだ帰り道、
駐車場代を払おうと精算してみれば何と二千円!!
え~!たったの40分だぜ。
良く見れば隣の銀行専用のコインパーキングで、
その他の一般利用者は30分千円!!!との事。
おい、言い過ぎだろ。
ここは大倉山だぜ。六本木より高いじゃんか。
結局完治せずに翌週いつもの病院へ足を運んだ私なので した。
散々な思いで鼻水を止めた結果、
現在私はみの虫と化している訳でございます。
ご機嫌よう。
其の四拾壱 ~集中力は最高潮!~
紳士淑女の皆様、狂い咲いてますか?
遅咲きの私はガレージシャンソンショーの2ndアルバ ムを録り終えたばかり。
題して『狂歌全集』。
醜くてもいい、生きてさえいれば!そんな作品となりました。
前作を下回る予算で、前作を上回る世界観。
正に”恥の上塗り”と言えましょう。
さて我々ガレシャンは唄うたい&蛇腹弾きのふたりぼっち。
レコーディングも一発録音あるのみです。他に演りようがない。
その一瞬に情熱の全てを注ぎ込むには、何といっても”集中力”が肝心です。
では集中力ってどうすれば高められるのでしょう?
例えば私は...
ヤバイ位美味しいらーめんを食べてる時
メチャクチャ面白い漫画を読んでる時
カッコよすぎてジェラシーしちゃう音楽に出逢った時
阿呆になる程気持いいSEXをしている時
そして勿論唄と一体化した時etc...
に物凄~く集中しちゃうのです。
そう集中力って自ら”高める”モノじゃなくて
結果として”高まる”モノなんじゃないかな。
気付けばどんどんその中に入り込んじゃって、とことん瀬戸際まで行っちゃう。
世界のはずれで鏡を抱きしめたその刹那、集中力は最高潮!
レコーディング中はそんな日々をずっと過ごしていました。
なので現在の私はもぬけの殻。
ゆるみっぱなし、ひらきっぱなし、なげっぱなし、ちらかしっぱなし...。
誰か私と馴れ合いのおつき合いをして下さいませ。
勿論メイクラヴ付きで...。
では、御機嫌よう。
其の四拾 ~泥沼は一日にして成らず~
私が十代の頃にやっていたハードロックバンドAROUGE。
そのギタリストである橘高文彦<現XYZ to A>のデヴュー20周年記念LIVEにゲストとして出演してきた。
まあ同じバンドでデヴューしてるんだから私も20周年なんだけどね...。
気が付きませんでした。節目を重要視しないタイプなんです...。
橘高バンドで唄った以外にも何とAROUGEも再結成!? 蘇るぜ、鋼鉄魂!!!
それにしてもメタルって音でかいなあ...。昔ってこうだったんだよなあ。
きぃーん、耳鳴り。
楽屋には懐かしい顔が並ぶ。同窓会さながらである。
普段イベントに出演する際、往々にして年下に囲まれる事が多くなって来た今日この頃。
だがしかしこの夜は殆ど後輩はおらず、同世代、先輩ばかり。
打ち上げの席では本当に酒が旨かった。中でも私が十代の頃から憧れていたLOUDNESSの二井原実氏、BOWWOWの山本恭司氏の2人に囲まれて呑んだ時は感激もひとしおだった。
かな~り緊張したけれどね。大御所お二方とROCK、唄についていろいろと語り合えた事がとても嬉しかったなあ。ガキの頃にしびれていたロックスター、そんなメンバーと一緒に演っている橘高は素晴らしいと思う。
時の流れは容赦無い。変わらぬモノなんて無い。
だがしかし全ては繋がっているのだ。三つ子の魂は地獄まで続く。
”ローマは一日にして成らず”~続ける事ってなんて素敵なんだろう。おお、偉大なる泥沼よ!
『昨日は消えない
明日はわからない
ひとつまたひとつ今日を積み上げてゆくだけ』
自分だって唄っているじゃないか。
其の参拾九 ~束の間の逃避~
嗚呼 ”湯治”に行きたいなあ。
別に何処が悪いという訳じゃあないんだけれど...。
鄙びた温泉場の自炊部屋に長期滞在し、
風呂に浸かってはゴロゴロ、浸かってはゴロゴロ。
なあんにもしない。
いいよなあ、そういうの。ぞくぞくするなあ。
阿呆面全開でからっぽになって、無気力の坂を転げ落ちる。
気が付いたら新しい名前で住み込みで働いてたりして...。
おっとヤバイヤバイ。
空想は現実への第一歩。
ずーっと思い続けてるとカタチになって来ちゃったりするからな...。
先日『独り舞台』と題して弾き語りのワンマンを演った。
舞台上には私だけ。独りぼっち。
何の制約も無ければ、束縛も無い。
邪魔モノは自分だけ。悲しい程自由。気持よかった。
そこで私は改めて痛感したのだ。
”唄う”という行為の素晴らしさを。
泥沼楽団にもガレージシャンソンショーにも
その世界観を貫く為の”美学”が存在する。
破滅を恐れぬ”美学”の追求、表現ってそういうものだ。
だがしかしギター一本で唄っているその刹那、
魂が高揚し、己が解放されたほんの一瞬、
何もかもがどうでもよくなってしまうのもこれ又事実。
”束の間”だから戻って来れるのだが...。
湯治に行ったとしてもおそらく一週間あたりが限度かもしれないな。
それ以上だと戻って来れなくなるかも...。
いろんな約束事はぶっちぎって行って来ようかな。
くわばらくわばら。
其の参拾八 ~籠の鶏~
二千五年睦月。
元旦起床は午後七時。
初夢見れず。
姫始めならず。
昼さがりの美酒に溺れる。
お年玉あげずもらえず。
靴履かず。
年賀状は返事のみ。
電話にも出ず。
怠惰怠惰怠惰。
不様不様不様。
BGMは『夜が明けたら』。
私が最も私になる時。
今年も相変わらずの幕開けだ。
誰からも見向きもされない。
まずは籠を壊そうか。
そうしないと唄えないからな。
そうしないと飛べないからな。