其の壱百弐拾壱 ~ロックンロール・エアプレーン~
10月末、博多で行われた【ELECTRIC FAMILY 35th Anniversary Live "We Are
Family"】に出演して来た。
私の九州の父である福嶋伊玖磨会長が取り仕切るEFの35周年イベント。
そのめでたい舞台で唄わせてもらったのだ。
3日間に渡る一大イベントで、その出演者の多くが日本のロック界の錚々たる顔ぶれ。
めんたいロックと呼ばれた生粋のロックバンドの重鎮達を中心に、濃くて怖い方々が勢揃い。
何処から見ても男気溢れる無骨で硬派なロックコンサートである。
ハッキリ言ってガレージシャンソン歌手はアウェーもアウェー、
マネージャーが会長に直談判して得た機会であったが、山田晃士は完全に浮いていた。
浮きまくっていた。
さて、私の出番は2日目のトップ15時から。
楽屋で顔馴染みの横道坊主の面々や伊東ミキオさんと談笑して少しはリラックス出来たものの、
一体何を唄えばいいのやら。
会長からは「【ひまわり】やってくれ、晃士」とのおコトバが。
果たして私から福島会長へのクドい愛と憎しみに満ち溢れた濃密な30分となった。
橋本潤さんが2曲参加してくれた事により一層妖しい世界が構築された。
とても昼間の15時から観る代物じゃない。
会場は変態的な空気に包まれた。
そうだ!凄く嬉しかった事がある。
司会進行MCを務めたスマイリ―原島さんが、私の事を「オルタネイティヴ・シャンソン!!!」と紹介してくれたのだ。
グッと来ましたよ、原島さん。
merci beaucoup.
翌日は博多から逃げ出し、小倉で横道坊主とNAKAMURA ATSUSHIさんとライヴ。
翌々日に飛行機で東京へ戻った。
機内に入ってみると、乗客の中に【EF35th Anniversary Live】出演者が多数。
一種異様な風景であった。
一体何処に飛んで行くって言うんだい?
そうか、これはロックンロール・エアプレーンだったんだ!
なんてモノに乗ってしまったんだ…。
離陸着陸の時、掌と足の裏が汗でびっしょりになりました…。
墜落しないで本当にヨカッタ。
其の壱百弐拾 ~どうでもいい頃~
音楽家という生き物は、やはりどこか根無し草というか、行き当たりばったりというか、その都度その都度の場面を生きている気がする。積み上げない。重なり合わない。そんな傾向にある。御多分にもれず私もそういった性分だと思われる。
学生時代、中学から大学まで繋がっている付属校へ通っていた。そこでは誰もがガキがオトナになるまでのおよそ十年間を共にする事になる。オトロチイ。ハズ カチイ。互いが互いの殆どを知っている。そんな友達ってなかなか出来るもんじゃない。
高校を四年、大学を五年かけて卒業した私はバンドマンの世界にどっぷり浸かり、学生時代の友人達とあまり逢わなくなってしまった。住む世界が違ったから だ。
十二歳からの友人、オサムは西麻布でBARをやっている。彼の店を中心に四十路になったかつての友人達は再び顔を合わせるようになった。オサムは何かにつ け出無精な私に声をかけてくれる。LIVEにも頻繁に顔を出してくれる。彼の店で唄った事もある。イイ男だ。
三十路の頃は、久し振りに友人に逢ったりすると、懐かしさよりもまず恥ずかしさや気まずさが先に立ってしまって上手く話せない事が多かった。
それが最近では、例えば三十年振りに逢った友人でも、なんのてらいも無くすっとあの頃に戻れる様になった。懐かしく、そして嬉しくなる。理由は分からない が、住む世界がどうとか、生活がどうとか、いろんなモノがどうでもよくなって来たのかもしれない。だってどうでもよかった頃の友人だから。
そしてそれはイイ事だと思っている。
其の壱百壱拾九 ~何かを成し遂げた様な達成感~
塚本晃・近藤智洋・山田晃士の3人による弾き語り旅巡業『灼熱の三叉路にて』が終了した。
8月に3本、9月に7本、全10公演であった。
後半は8日間のちょっとした長旅。同世代、気の置けない盟友とのツアーは愉しい。
遅い朝に起床、数百キロを移動、舞台入り、リハーサル、楽屋で準備、本番、終演、撤収、夜中からの酒の席、明け方近く就寝、といった毎日。あっという間に1日が終わる。
舞台の上での3人の唄うたいはギターを傍らにそれぞれの世界を構築し、お互いに刺激し合いながら、セッションではてらい無く混じり合う。
舞台を降りた3人の駄目オトコは盃を傍らにそれぞれの御託を並べ、お互いに慰め合いながら醜態を晒し合う。
1人ぼっちになるのは旅の宿である。勿論安宿。
今回嬉しかったのは、1年半前にも訪れた商人宿、○○旅館に連泊出来た事だ。<其の壱百壱参照>
ここは本当に過ごしやすい。ガレージシャンソン歌手の性に合っているのだ。
31分200円のコインランドリーで洗濯三昧。旅館の屋上の物干し竿にガレージシャンソン歌手の洗濯物が翻った時、何かを成し遂げた様な達成感に包まれ た。真夜中の温くなってしまった共同風呂に暑いお湯を満たした時、何かを成し遂げた様な達成感に包まれた。旅館にひとつしかない、部屋から遠いウォシュ レット の洋式トイレで用を足した時、何かを成し遂げた様な達成感に包まれた。(時折空いてなかったりもしたが…)部屋の冷蔵庫に1リットルの牛乳パックを入れた時、冷凍庫にチョコモナカアイスを入れた時、何かを成し遂げた様な達成感に包まれた。
○○旅館にガレージシャンソン歌手の生活の匂いが沁み込んでゆく。これぞ連泊、住みたくなってしまう。
残念な事と言えば、移動中のパーキングエリアで、リアルなキノコのストラップのガチャガチャを見つけ、
どうしてもベニテングダケが欲しかったのに、何度やってもマツタケしか出て来なかった事位である。
『灼熱の三叉路にて』再び。
本当に素晴らしき旅であった。
其の壱百壱拾八 ~洗濯の鬼~
旅巡業に出れば洗濯の鬼と化す私。
毎日、毎日、せっせと洗濯する。
決して潔癖症なんかじゃないのだが、汚れ物を持ち歩くのが嫌なのだ。
その日脱いだものはその日の内に、たとえ靴下一足でも洗わずにはおれない。
ナノレベルの汚れまで分解除去!液体洗剤は私の重要な旅道具である。
一晩で乾かない事もしばしば。そんな時は一旦洗濯袋に戻し、次の町で再び洗う。二度手間。
でも懲りずに毎日洗濯。だから宿に乾燥機があったりすると凄く嬉しい。
旅先で舞台に立っていない私は、洗って、洗って、洗いまくっているのである。
この夏、塚本晃・近藤智洋・そして私の3人で弾き語りの旅に出た。
題して『灼熱の三叉路にて』。気の置けない仲間との旅巡業は愉しい。
今回はビジネスホテル泊ではなく合宿所生活、全員で一っ所に滞在し、そこから各会場に向かった。
この合宿所が洗濯するにあたって最高のシチュエーションだったのだ。
雨の差し込まない屋根つきのベランダがあり、そこに物干し竿が設置され、しかもハンガーが大充実。
私は狂喜乱舞、天にも昇る気持ちになった。
舞台を終えた後我々が夜半過ぎに合宿所に戻るや否やas soon as、洗濯番長の私が声をかける。
「は~い、皆さん洗濯物を出して下さい!」
全員の洗濯物を全自動洗濯機に放り込み、液体洗剤を注入!
洗い上がってベランダに干せば、後は放っておくだけ。カラッカラに乾くのを待つだけだ。最高である。
お調子に乗った私は、夜は衣装・普段着、翌朝は寝巻・バスタオル、と一日に二回洗濯に励んだ。
やがて誰も洗濯物を出さなくなった。
私のキャリーバックを開ければ液体洗剤の香りが漂って来る。
その時、私は至福を感じるのである。
其の壱百壱拾七 ~時の過ぎゆくままに~
山田晃士&流浪の朝謡、西の旅巡業楽日。
京都磔磔の楽屋で山田とロジャーはサブロッソの帰りを待っていた。
外は雨。土砂降りだ。
リハーサル終わりでその雨に辟易し、腹ごしらえに出るのを断念した山田。
朝から痛風が再発し、足が痛くて歩けないロジャー。
ふたりは空腹だった。
雨にも負けず風にも負けず、京都の街を放浪し続けるサブロッソに電話して、
ロジャーはお弁当を、山田はおにぎりを買って来てもらえないだろうかと懇願したのである。
“いいですよ~、6時には買って帰りますね”と嬉しい返事が。
6時までにはまだ1時間近くあったが、わがままは言えない。
この土砂降りの中、わざわざ買って帰って来てくれるのだ。ゆっくり待つとするか。
山田とロジャーは首を長くしてサブロッソの帰りを待った。
やがて約束の6時を廻った。しかしサブロッソが戻る気配は感じられない。
“いやあ、腹へったな~”
“そろそろ帰って来るかな”
山田とロジャーはじっとガマンでサブロッソの帰りを待った。
6時半を廻った。
“何しとんねん、三郎は…”
“忘れてんじゃなかろうか”
若干、声を荒げるふたり。
するとサブロッソから電話が…。
“遅くなってごめんなさい、後5分で戻りますね~”
ホッとするふたり。
そして5分・10分・15分…。サブロッソは戻らない。
“ええ加減にせい!”
“あいつの5分って何分だよ?”
確実に声に怒りが混じっている。
7時になってようやくサブロッソ様御帰還。
“遅くなりました~”って全くその通り。間もなく本番なんだけど。
いや~でも助かった。雨の中をありがとう、サブロッソ。
美味しそうにお弁当を食するロジャーを横目に山田は受け取ったおにぎりを見て愕然とする。
…シーチキンマヨネーズ…!!!
山田の食べられない具でありました。
ありがとうサブロッソ…。
その夜の舞台は、かなり切ない唄となった。
其の壱百壱拾六 ~ナマケモノ返上~
吉祥寺 STAR PINE'S CAFE。ガレシャンでは何度かお世話になった小屋である。
先日、久し振りにその舞台を踏んだ。山田晃士&流浪の朝謡の世界観もばっちり似合う素敵な空間であった。愉しき夜を過ごした。
ただ一つだけ個人的に悔やまれる事があった。
その日はギタリストのバモス福島と車で吉祥寺に向かっていたのだが、久し振りの場所で土地勘を失くし、店に辿り着けず、駅付近を少々彷徨った。その折に強 烈な看板が目に飛び込んできたのだ。真っ赤な店構えに真っ黒な文字で筆字で“バリ男”と掲げてある。縦書き。もの凄いインパクト!どうやらラーメン屋みた いだ。
リハーサル終わりで、腹ごしらえしようと外に出た。さっき見た看板が忘れられない。足は自然と“バリ男”へ向かう。店員の勢いが凄まじい。皆声を張り上げ ている。気合入ってるなあ。ノーマルなラーメンを注文した。ラーメンが運ばれて来た時、しまった!と思った。所謂“二郎インスパイア系”だったのだ。基本 的にこってりは好きな方だが、二郎系は食後にかなりのダメージを伴う為、滅多に口にしない。その日をラーメンに捧げる気持ちがないと食べてはいけないの だ。到底ライブ前に食するモノでは無い。しかし店員の勢いに呑まれ、店内はハイテンション。他の客はきれいに平らげている。とても残せる雰囲気じゃない。 気弱なガレージシャンソン歌手は胃袋にかなりの負担をかけながらやっとの思いで完食した。ううう…身体が重いぜ。
本番。一曲目は早川岳晴のコントラバスのインプロから。舞台裏でその音を聴いている。おそろしく重くうねっている。マイッタなあ、身体に響くなあ…。重い足取りで舞台に躍り出た。その日は今一つ動きにシャープさが欠けていたと思われる。8月5日は同場所で映像収録を行う。舞台前の食事は要注意だ。
私は“バリ男”にはなれなかった。
其の壱百壱拾五 ~公演前に食するモノ~
今迄の人生において最も多忙だったのは'93~'94、
『ひまわり』のリリースに伴い、およそ1年間に渡り、休日というモノが1日も無かった。
分刻み秒刻みのスケジュール。
ナマケモノの自分にとって、夢見ていた日々は、正しく地に足がついていない状態だった。
何処で何をしていたんだろう?
あの1年間は幾つかの場面が残っているだけで、まるで記憶に無いのだ。
さて、ここ数ヶ月、あの頃に匹敵する程の忙しい日々を送っている。
『デラシネ・スウィング』リリースにまつわる諸々の作業に追われ、毎月旅巡業に出かけ、
都内・横浜での舞台に立ち、声出しの仕事を増やし、幾つかの原稿を書く。
スケジュール帳を見返してみれば1日も休んでいない事に気付いた。
2週間前の出来事を半年位前に感じる。時の流れが早い。早過ぎる。
ただ『ひまわり』の頃と確実に違う点が2つ。
1つは、何処で何をしているのか、何の為にやっているのか、しっかりと把握しているという事。
その上で目まぐるしい。かなり密度の濃い毎日だ。
もう1つは、入って来る報酬があの頃と比べ物にならない程に少ないという事。
微々たるモノである。時給に換算すれば、300円位ではあるまいか。
トホホ…、しみじみするなあ…。
ならば、よし!もっと唄おう、もっと創ろう、もっと晒そう。
ナマケモノ返上!で行こうじゃないか。
………むむぅ………。
そろそろ休日を取ろうかな。
其の壱百壱拾四 ~悔しさは泡となって消えた~
その日はやらねばならない事柄に追われ、日がな一日奔走していた。
不慣れな場所で、不慣れな人達と会話し、変な汗をかいた。
実は割と人見知りしてしまうガレージシャンソン歌手。
帰路に着いたのは23時。はっきりいってヘトヘトだった。ぐったりだ。
家の最寄り駅に到着。ビール買って帰ろう。
駅に隣接している深夜営業のスーパーマーケットで買い物。
いつもと違う銘柄のビールが呑みたくなり、目に着いた白い缶の500ml6缶パック&おつまみを少々。
レジ袋をぶら下げ、本日最後のチカラを振り絞り、坂道を登り降りして帰宅した。
お腹をすかせた猫達がお出迎え、カリカリを与える。
そして風呂にゆっくり浸かる。はぁ~、生き返るなあ・・・。
風呂から上がり、髪を乾かし、おつまみを並べ、さあ!お待ちかねの時間だ。
良く冷えたビールをグラスに注ぐ。至福の一時である。
グッと一気に飲み干す。・・・ん!?・・・、何だコレ?何か変だぞ、大事なモノが足りない気がするぜ。
缶を手に取りよ~く見てみると、そこには“ノンアルコール”の文字が!
ショック!!!!!!
愕然とした。一気に力が抜けた。私とした事が・・・。しかも500ml6缶パックである。
期待が一瞬で失望へ変わった。でも私はへこたれない。
そうだ!ホッピーにすればよかろう、と焼酎をノンアルコールビールで割ってみた。
成程、ホッピーっぽいね。でも私が望んでいたものとは明らかに違うね。
気持ちは誤魔化せなかった。目移りしたのが失敗だったのだ。いつもどおりサッポロ黒ラベルにしておけばよかったのだ。様式美が大切だったのだ。ディープ パープル。
次の日、残りのノンアルコールビールを全部飲み干した。
悔しさはオシッコの泡となって消えた。
其の壱百壱拾参 ~会話無きコミュニケーション~
夜の街が暗い。
車も少ない。街の灯りも少ない。
子供の頃はこんな景色だったと思う。
スウィミングスクールからの帰り道、バス停から家まで、暗くて怖くてダッシュしていた日々を思い出す。
あの頃はコンビニもファミレスもなかった。
近頃が明る過ぎたのだ、きっと。
先日、レコーディング終わりでスタッフとミーティングをしようと思ったのだが、やっている店がない。
ファミレスは軒並み閉まっている。夜半にミーティングが出来るって特別な事だったんだなあ…。
なんとか24時間営業のマクドナルドを見つけた。
チーズバーガーとコーヒーを買って2階席へ上がる。
22時半、ぱらぱらと客がいる。
ふと、喫煙ブースに目をやると6~7人の客が。
おそらく全員お一人様なのだろう。
カウンター席に間隔を空けて座っており、各々が壁に向かって黙々と何かの作業をしている。
性別も服装も年齢もまちまち。シーンとしてる。
一見ごく普通の景色なのだが、不思議な違和感を覚えた。
…1時間経過…。
スタッフとミーティングも終わった頃、喫煙席の客達が一斉に帰り支度を始めた。
同じタイミングで立ち上がり、トレイを片付けている。閉店時間?いや、24時間営業だよな。
こりゃ連鎖反応か、と驚いていると、それぞれが何となく目配せしたり、何となく微笑んだりしている事に気付いた。あれ?グループだったのか。バラバラに座ってたのに。一言も会話がなかったのに。
全員が鞄に任天堂DSをしまっていた。
対戦が終わったのだ…。
お一人様達は暗い夜の街の中、散り散りと消えていった。
別れの挨拶はない。
会話の要らないコミュニケーションが存在している。
私には未だ難しそうである。
其の壱百壱拾弐 ~懐かしさの距離~
只今『山田晃士&流浪の朝謡』の1stアルバムレコーディング真只中。
我々の“業”がカタチになってゆく様は愉しい。これは音楽家にしか味わえない喜びの一つだと思う。
そのリズム録音(主にドラムとベースを録音する作業、云わば土台作り)で訪れた永福のPOWER HOUSE STUDIO。はからずも泥沼楽団『びらん』の時と同じスタジオであった。
初日、車を停めて楽器を搬入する。地下のスタジオへ降りてゆく。目に飛び込んでくる景色に記憶の蓋が開き始める。嗚呼、懐かしや…。スタジオも、コンソー ルルームも、ロビーも、あの時と同じだ。変わらない。蘇るなあ…あの日々が。はて、あの日々っていつの事だったっけ?え~と『びらん』を出したのは……?
えぇ、2003年!? もう、8年も経つのか。驚いた、せいぜい2~3年な気でいたのだが。
偶然にもレコーディングエンジニアはあの時と同じ石川達也さん、メンバーもロジャーとナベさんは一緒だからなのかもしれないが、8年も時間が過ぎた事実に本当に全員が驚いてしまった。
一昔と言ってもいい事柄が、手の届く距離で懐かしいのだ。
おそらく“懐かしい”という感覚そのものが変わって来たのだと思う。
例えば年1回のペースで唄いに行く舞台では“懐かしい”という感情は起こらない。
“また来ましたよ、今日もよろしく”といった気分になる。2、3年振りでもきっとそうだろう。
確実に自分にとっての時の流れの速さが変わってしまったのだ。
そしてそれはますます早くなってゆくに違いない。
ぼやぼやしてたらヤバイ。お迎えがやって来る。時の流れに身を任せているバヤイではないのだ。
『山田晃士&流浪の朝謡』として最高の1stアルバムを創り上げたら、それを引っ提げて旅に出よう。
ひとつひとつの舞台で完全燃焼!情熱を滾らせ己を曝け出す。出し切る。そんな所存でおります。
勿論メンバー一同、駄目な大人と重々承知の上で、な。
其の壱百壱拾壱 ~夜のしじまに~
温泉が好きだ。
3年前には湯治宿に1週間ほど滞在した事もある。
あれは最高だった。もう、社会復帰出来ないと思った。あぶなかったよ…。
正月は7日から旅巡業。その前に是が非でも温泉に行かねば!と半ば強引に空白の2日間をでっち上げ、塩原へ行って来た。“一泊二食5300円、横浜駅出発の往復バス運賃600円”というどびっくり!な広告を発見。まあ“安かろう悪かろう”を覚悟の上出かけてみた。
到着すれば、かなり古そうな温泉観光ホテル。昭和の佇まいだ。
聞けばこのツアーを企画しているグループは倒産したホテルを買い取り、手直しして激安の宿として各地で営業しているとの事。ビリヤード無料。卓球無料。社 交ダンススタジオで盛り上がるジジババ。食事はバイキング。絵に描いた様なテレビ東京の世界だ。嬉しいのは一泊二食5300円→5500円支払うと(200円プラスするだけ)、夕食時に飲み放題となるシステム。生ビールは単品580円だから、もう、何と言いますか、意味分からんシステム。勿論、呑ん だくれましたとも。
何の問題も無い。基本的には愛想がない。でもその放っておかれる感じがとても良かった。高級旅館じゃあるまいし。いいお湯とのんびりした時間を求めるだけ ならば充分。良い正月になった。
そして翌日から弾き語り旅巡業へと。5連チャン。唄と酒の日々。連日安宿泊まりである。
旅の最終日、男ばかりで4人部屋に泊まった時、真夜中過ぎに目が覚めてしまった。
8畳間に唄うたい達の寝息がこだまする。
“塩原のホテルは最高級ホテルだったんだなぁ…”
夜のしじまにしみじみとする夜であった。